ただ一言コトバにするならば、生きにくい。

いつからこういう人間になったのだろうか。
ずっとこうだっただろうか。
世の中は自分にとって、
ずいぶん生きづらくなった。

死にたいと思うことはないが、
死んでしまえば楽だろうなと度々思う。
ただ私は自分の人生に未練があって、
死ぬ勇気が出ない。
自殺する人と私の境界線は、
ただそれだけだと思う。
「死んだら全てが終わり!
 バカなことをした!」
という人の言葉が一番共感できない。
死なんてものは、
誰の前にも同じくらい近くにあると思う。

私はかつて、mixiという媒体で、よく自分が
コトバにできないことを文章にしていた。
書くという表現で、自分の頭が整理できた。
心も幾分か落ち着いた。
しかし私の文章は明るさと暗さが表裏一体で。
暗いときに特に、
当時の見知らぬ大人たちに叱咤された。
どうして自分を表現することを、
他人が止めるのかがわからなかった。
そういったコトバを選ぶ人の気持ちは
いまだにわかってないんじゃないかと思う。

自分より一回り以上も年下の女性が
悩んでいるのを見たとき、
声をかけるか立ち止まる。
彼女は私のコトバなど求めていない。
ただ誰かの助けは求めている。
自分は人に手を差し伸べられるほどの人生を
生きていない。
すごく退屈な人生だ。
家族も親友も捨てた人生だ。
何もかも上手くいかなかった人生だ。
こんな私のコトバに何の力があるというのか。

あの大人たちは、私にそれだけのことを
言える人生を歩んでいたんだろうか。
あの界隈にいる人たちは
胸を張ってそう言えたんだろうか。
本当に、奢りだ。

私は文章を書くことをやめてしまった。
心の中の文章を書くことをやめてしまった。
そしたら長い、長い時をかけて、
こんなにねじれてしまった。
私の今のねじれは、
あの時から繋がってるのではないかと思う。
ねじれ、ねじれて、どうしようもない。

生きるのがしんどい。
本当にしんどい。